
2024年、全国の100歳以上の高齢者は約9万5000人となり54年連続で過去最多を記録した。
また、2007年生まれの半数は107歳まで生きると予測する国際的な調査もあるなど「人生100年時代」は夢物語ではなく全ての人々にとって現実となりつつある。
『104歳、哲代さんのひとり暮らし』は、地元の新聞やテレビなど、多くのメディアに「人生100年時代のロールモデル」として取り上げられてきた広島県尾道市に暮らす石井哲代さんの101歳から104歳までの暮らしを記録したドキュメンタリー作品で、全国に先駆け2025年1月31日(金)から広島県内で行われている先行公開で2万人を動員した話題作だ。
国際的に長寿国でありながら100歳まで生きたいと考える人は2割に過ぎない日本。監督の山本和宏氏は軽やかでユーモアたっぷりの哲代さんと出会ったことで、「あんな風に年齢を重ねられるなら100歳も悪くないかも」と心を動かされたと語る。
山本監督と哲代さんの出会いは2022年の春。地元テレビ局の企画として当時101歳の哲代さんに長寿の素晴らしさをテーマに取材を始めたところ、年齢を重ねてごきげんに過ごす秘訣は言葉で語り尽くせるものではないと感じ、何気ない日常や日々の周囲との関わりを丁寧に描くことでより深く表現できると考え映画化に至った。

1920年、広島市に生まれた哲代さんは20歳から小学校の教員を務め終戦直後の1946年、同僚の良英さんと結婚。56歳で退職後は地域の民生委員として活躍し今でも先生と呼ばれている。83歳で夫を見送り、親族や地域の人々の手を借りながらひとり暮らしをしている。
トレードマークともいえる、紫色の割烹着を身に着けた彼女の一日は、いりこの味噌汁を作ることから始まる。畑仕事や家の周りの草むしり、来客にはまずお茶を出しジョークを交えながら他愛もない話をするなど、哲代さんは常に動き回る。

©️「104歳、哲代さんのひとり暮らし」製作委員会
冒頭、カメラは自宅前の坂道を「よいしょ、よいしょ」と後ろ向きに降りる哲代さんを捉える。この坂道は体力と気力のバロメーターの象徴だ。
「自分でできることは自分でやる」と、できなかったことよりできたことへ常に目を向け喜びを感じることが哲代さんの心身の健康につながっている。足の持病で入院をすることもあれば、施設に入ることもあるが自身が主である家を守り、ひとり暮らしを送ることをモチベーションに一心でリハビリに励む。
誰にでも老いは平等にやってくる。ヘルパーさんの訪問やデイサービスへ入浴のため通うこととなっても、絶えず感謝の言葉を述べる哲代さん。自身の老いを嘆くどころか周囲を常にエンパワーメントし続けているのだ。
「錆びない鍬(くわ)でありたい」
哲代さんの座右の銘だ。誰よりも大きな声で歌い、笑い、季節の移ろいを慈しみ、周囲に感謝を欠かさない。毎日変わらない日々を送れるありがたさを噛(か)みしめ、時には弱気になることがあっても身体の変化をしなやかに受け入れ、上手に自分の機嫌を取っている。
「幸福のためには自分軸が大切だ」と分かっていても人はついつい他者と自分を比較して羨(うらや)んだり嫉妬したりしてしまう。哲代さんは、その生き方を綴った書籍『102歳、一人暮らし。哲代おばあちゃんの⼼も体もさびない⽣き⽅』の中でも「気張らず飾らず、あるがままを受け入れる。自分を大きく見せんことです。煩悩やねたみといった、しんどいことは手放すに限ります。その代わり、うれしいこと、楽しいことは存分に味わうの。」とメンタルヘルスとの向き合い方を語っている。

また、本作には認知症や介護のリスクを高めると言われている「社会的孤立」を考えるヒントも数多く散りばめられている。哲代さんの暮らしには、地区の女性たちの集い「中野仲よしクラブ」や姪っ子をはじめとした親族たち、その他にも近所の人々との交流など高齢者のウェルビーイングを高めるとされている「社会的つながり」が当たり前に存在し、老年期の幸福においてそれがいかに重要かを再認識させられる。
時代が移り変わり、科学技術の進歩やさまざまなイノベーションが起ころうとも、人間は他者との関わりの中で生かされている存在であることは普遍的だ。
気取らず、いつもチャーミングで前向きな哲代さんだが、多くの人生経験を積んだからこそ「自分で自分のご機嫌を取る」ことができるようになったそう。

哲代さんは、多くの子ども持つことが当たり前の時代に子宝に恵まれなかったことを引け目に感じて生きてきた。
家族への申し訳なさや自身の存在意義は一体どこにあるのかと特に若い頃は日々思い悩み、教師の仕事や畑仕事をより所に心を必死に保ってきたそうだ。
あの時の自分があったからこそ、毎日ご飯が美味しくいただけること、見逃してしまいそうなささやかな幸せに心の底から感謝しながら自然体で老いを楽しむ在り方へとつながっているのだ。
AIの進化や加速する少子高齢化、気候変動などの社会背景に加え、多様化する価値観の中で、多くの人が老後の不安を抱え、生き方を模索している。
私たちは「タイパ・コスパ」と駆り立てられ、SNSで人と自分を比べ、AIに人生の正解を問い、人生100年時代を心身ともに健やかに生き抜くことはそう容易(たやす)い時代ではなくなってきている。
「どうしてそんなに長生きできるの?」と子どもに無邪気に問われた哲代さんが「何でも良く食べること」と返す場面がある。こうした何気ないシーンも観る者の年齢や置かれている状況にもよって捉え方が変わるかもしれないと感じる。
哲代さんの暮らしや紡がれる言葉は、30歳、50歳、80歳……と節目節目に繰り返し観ることでこそ今の自分自身と重ね合わせて「生きることへの向き合い方」を再考するパートナーとなり、私たちの人生に寄り添ってくれる存在となるに違いない。
自分らしい幸福の形や希望に満ちた人生を送るための多くのヒントを、正に「今ここに生きる」ことを体現している哲代さんのごきげんでしなやかな生きざまからあなたも受け取ってみてはいかがだろうか。
『104歳、哲代さんのひとり暮らし』(配給:リガード)
4月18日(金)より、 シネスイッチ銀座ほか全国順次公開
https://rcc.jp/104-hitori/
宮野 かがり (みやの・かがり)
神奈川県横浜市出身。学生時代、100本以上のドキュメンタリー映画を通して、世界各国の社会問題を知る。大学卒業後は事務職を経て、エシカル・サステナブルライターとして活動。都会からはじめるエシカル&ゆるべジ生活を実践。