![]() 湖面の95%が結氷した諏訪湖(2025年2月9日午前7時半、諏訪市の立石公園から)
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日本の雪氷文化を象徴する長野県・諏訪湖の「御神渡り」が7年にわたって現れていない。分厚く湖面を覆う氷が寒暖差で山脈状にせり上がる現象なのだが、そもそも湖面が結氷しないのだ。諏訪の人たちは諏訪湖の結氷状況を15世紀から記録し続けている。2025年で583年目となるその記録は、かつて毎年のように諏訪湖が分厚く結氷したことを語っている。(依光隆明)
2025年は全面結氷すら見られず
諏訪の人たちにとって御神渡りは「神の渡る道」だ。諏訪湖が全面結氷したあと、朝昼の寒暖差で氷が膨張、縮小を繰り返す。限界を超えると氷が割れ、山脈状にせり上がる。あたかも龍のように湖面を這うのだ。出現時に轟(ごう)音を伴うことが多かったので、諏訪の人たちは氷の龍を神とつなげて物語を作った。
![]() 結氷した諏訪湖面に走る氷の山脈。これが発達すると「御神渡り」に認定される(2018年、諏訪湖)
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御神渡りをつかさどる役目は諏訪市の八剱(やつるぎ)神社が担っている。御神渡りが出現したときには結氷した湖面に出て拝観式を執り行うし、出現しなくてもその年の状況を記して諏訪大社に報告しなければならない。併せて大切なのは御神渡りができるかどうかを観察することだ。正月明けの「小寒」から2月の「立春」までを観察期間と定め、宮司や総代が総出で湖面の氷をチェックする。氷が張っていれば氷の厚さや質を調べ、張っていなければ水温を調べる。
![]() 観察を続けてきた宮坂清宮司(右から2人目)ら八剱神社の関係者たち(2025年2月10日)
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毎朝6時半から7時まで、厳寒の諏訪湖岸で観察する。八剱神社の宮司や総代だけではなく、ここ数年は観察を見学するギャラリーも増えた。特に目立つのは遠くから来る女性たち。2025年も東京や新潟から頻繁にやってくる女性たちがいた。観察が終わると和やかに談笑し、差し入れのコーヒーで温まる。氷が張っていれば喜び、張っていなければ残念がり。厳寒の朝、湖と氷を見るだけで楽しむイベントは珍しい。思い切り冷え込めば御神渡りを期待し、温かくなると期待がしぼむ。2025年は1月5日から観察がスタートしたが、ピーク時には100人が観察の輪に加わった。
にぎやかな観察風景とは裏腹に、2025年は全面結氷すら見られなかった。御神渡り出現の前提は諏訪湖の全面結氷なので、全面結氷がなければ御神渡りは現れない。そればかりではなく、氷そのものが張らない日も多かった。氷が張っても薄氷で、御神渡りが生まれる雰囲気すら出ないまま。氷点下10度が3日続くと諏訪湖は結氷すると言われているのだが、2025年は氷点下10度に達したのは一度だけだった。
2000年以降は88.7%が28.0%
![]() 1913(大正2)年に出現した諏訪湖の御神渡り現象。かつては人の背丈ほども氷がそそり立った(八剱神社の資料から)
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八剱神社には1443(嘉吉3)年からの御神渡りの記録がある。どのような御神渡りができたのか、その年はどのような年だったのかが記されていて、諏訪湖の結氷を知る記録にもなっている。1443年から数えると2025年は583年目だ。
記録によると、西暦2000年までで御神渡りができなかったのは557年間で63回。出現確率88.7%。ところが2001年から2025年までの25年間では7回しか御神渡りが出現していない。出現確率はわずかに28.0%。データを見ると、戦前までは御神渡りが出現しないほうが異常だった。例えば1901年から1950年までの50年のうち、出現しなかったのは5年だけしかない。それが戦後に入って急に出現しない年が増え、1951年から2000年までの50年では不出現の年が22。そして、2001年から2025年の25年では18となった。
八剱神社の宮坂清宮司は慎重な言い回しで気候変動の影響を口にする。「山に囲まれた諏訪の平(盆地という意味)は昔はものすごく冷え込みました。その冷え込みがなくなって、諏訪湖はなかなか凍らなくなりました。地球温暖化の象徴のようなところかもしれません」と。
70代となった宮坂宮司らの世代は、小中学生のときに諏訪湖の上でスケートの授業を受けていた。諏訪湖の上を自転車で走って高校に通っていた人もいる。それだけ分厚く氷が張っていた。諏訪の冬を代表するのが氷であり、諏訪エリアからは平昌オリンピックスピードスケート競技の金メダリスト、小平奈緒さんらスケート競技選手を多数輩出している。
日本の雪氷文化がピンチに?
諏訪だけではなく、日本には多くの雪氷文化がある。石川県金沢市に伝わるのは江戸時代に起源を持つ「氷室の仕込み」だ。夏場、加賀前田藩が将軍家へ氷を献上していたという故事を現代に復活、厳寒期の恒例行事として仕込み続けている。氷室(氷の貯蔵庫)に雪を詰めるのだが、積雪の減少で近年は雪集めに苦労するようになった。
![]() 反物を雪の上に広げる「小千谷縮雪ざらし」(にいがた観光ナビより)
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新潟県では越後上布や小千谷縮(おぢやちぢみ)の反物を春先の真っ白な雪の上に広げる風景が名物となっている。何百年も前、春先の太陽と雪が解けるときの漂白作用に気づいた先人が始めたらしく、国指定無形重要文化財とユネスコの無形文化遺産にもなっている。この風景も、雪の減少という現実と向き合わざるを得なくなっている。
雪氷文化は食ともかかわりが深い。代表的なものは諏訪地方の名物、角寒天だ。海で採れるテングサを寒天にするのだが、わざわざ内陸の諏訪まで持ってくるにはそれ相応の理由がある。一番の理由は冬の冷え込みであり、続いて晴天率の多さ。要するに冬場の冷え込みが厳しい半面、晴天が多くて雪が降らない気候が寒天づくりに向いているのだ。
![]() 天日干しされる角寒天(信濃寒天のHPより)
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諏訪地方で寒天づくりが始まったのは江戸時代の末期。長年にわたって伝統産業として知られてきたのだが、近年はかつてのような冷え込みが見られなくなっている。冷え込む時期が短くなると、寒天づくりの適期も短くなる。生産量は下がり、コストは上がる。このままでは伝統産業の将来を左右する問題となりかねない。
2025年1月の世界の平均気温は、産業革命前を1.75度上回る
7年連続で不出現となった諏訪湖の御神渡り。その理由は、宮坂宮司らが肌で感じているように、気候変動の影響が大きいことが、データでも裏付けられている。
世界気象機関(WMO)などによると、2024年は「史上最も暖かい年」となり、世界の平均気温は、産業革命前の水準に比べて1.5度を初めて超えたが、その傾向は2025年に入っても縮小するどころか、輪をかけて大きくなっている。EUの気象情報機関「コペルニクス気候変動サービス」によると、2025年1月の世界の平均気温はまたしても史上最高を更新し、産業革命前から1.75度も上回ったという。
雪氷文化の最前線でも、データの上でも、確実に気候変動は進んでいる。
7年連続で不出現だった御神渡りが来年以降、再び出現し、宮司が、1443年から残る記録に新たな出現の記録を書き記すことができる日は果たして来るのだろうか――。
依光 隆明(よりみつ たかあき)
高知新聞、朝日新聞記者を経てフリー。高知市在住。環境にかかわる問題や災害報道、不正融資など社会の出来事を幅広く取材してきた。2023年末、ローカルニュースサイトを立ち上げた。 https://newskochi.net/