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本連載では欧州、カリブ諸島、そして日本での就業経験を通じて培った視点をもとに、現在はオランダ・アムステルダムを拠点に活動している私のサステナビリティに関する欧州のトピックスをお届けします。そして、多様な観点からサステナビリティを捉え、企業が環境への責任を果たしながら、イノベーションと成長をどのように両立させられるかを探っていきます。
2015年、ベルリンに住んでいた私は、企業不祥事のなかでも最大級の事件を目の当たりにました。フォルクスワーゲンの「ディーゼルゲート事件」です。同社は、米国の法律で決められた基準を最大40倍も上回る排気ガスを排出する車両を販売するため、規制試験で不正を行っていました。フォルクスワーゲンに300億ドル以上の罰金や損害賠償をもたらしたこの事件は、業界全体に大きな衝撃を与え、自動車業界で最も巨額の損失を招いた不祥事としても知られています。80年の歴史を持ち、業界を先導してきた同社にとって、その影響は壊滅的でした。ブランドイメージは失墜し、多額の罰金が経営を圧迫し、最終的にはCEOのマルティン・ヴィンターコルン氏が辞任する事態となりました。
私はこの不祥事を受けて、世界的に有名な日本の自動車メーカーであるトヨタやホンダが、もしこのような危機に直面した場合、どのように対応するのだろうかと考えずにはいられませんでした。これまで、日本の自動車メーカーは排出ガスに関する不祥事を回避してきたものの、2016年に発覚した三菱自動車の燃費不正問題は、どんな企業体制でも、不透明な組織運営が引き起こすリスクからは免れないことを示した事例となりました。この問題は、企業が激しい競争が繰り広げられるグローバル市場で長期的な信頼を築くために、アカウンタビリティ(説明責任)の枠組みがいかに重要であるかを改めて問い直すきっかけともなりました。
この出来事によって、私は、自動車産業が国のアイデンティティにどれほど重要な役割を果たしているかを実感しました。車は単なる移動手段ではなく、国の誇りであり、経済をけん引する原動力であり、多くの人々にとって文化的なシンボルでもあります。
自動車税が大幅に高い私の母国オランダと比較して、ドイツで車を所有することは、はるかに手頃でした。この“手頃さ”は、部分的にはドイツの自動車業界の強力なロビー活動によって形作られてきたもので、実はその裏には深刻な問題が隠れていました。こういったシステムが、フォルクスワーゲンのような企業が責任よりも利益を優先することを可能にし、悲惨な結果をもたらしたのです。私にとって、ディーゼルゲート事件は単なる排出ガス試験の不正ではなく、失われた信頼と私たち全員に影響を与える環境への害についての問題でした。
企業を前進させる透明性の役割
![]() Image credit: Wutzkoh
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ディーゼルゲート事件のような不祥事は、企業が短期的な利益よりも人や地球環境を優先するには、どうすればよいかという疑問を投げかけます。そこで登場するのが、企業サステナビリティ報告指令(CSRD)です。
CSRDとは、2023年1月に発効された欧州の枠組みであり、企業のサステナビリティ情報開示を求めるものです。その影響は世界全体に及びます。電子機器、自動車、重工業など、欧州とつながるサプライチェーンを持つ日本企業は、これからその波及効果をますます感じることになるでしょう。例えば、欧州企業のサプライヤーは、より厳格なESG(環境、社会、ガバナンス)基準を満たさなければならず、透明性は付加価値ではなくビジネスの必須要件となるのです。
EU(欧州連合)が導入したCSRDは、企業のサステナビリティ報告の標準化と義務化を目的としています。企業にESGの影響を開示させることにより、不祥事を防ぐだけでなく、企業の運営を変革させようとしています。
もしCSRDが2015年以前に存在していたなら、ディーゼルゲート事件は起こったでしょうか? 思わずそんなことを考えてしまいます。透明性の要件があれば、排出ガスの不正操作を隠すのはもっと難しかったのではないでしょうか。過去を変えることはできませんが、同じことが繰り返されないような枠組みをつくることはできます。
進歩を目指す「ロッテルダム・モデル」が示す可能性
![]() Image credit: Frans オランダ、ロッテルダム地区の水上住宅
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「niet lullen maar poetsen(話すな、行動しろ)」という精神に形作られたオランダ・ロッテルダムという街で育った私は、行動とイノベーションが生み出す素晴らしい結果を目の当たりにしてきました。ロッテルダムは、エネルギーを自給自足する水上住宅や、普段は子どもの遊び場などのスペースとして活用され大雨時には貯水地となるウォータープラザ、ビルの屋上や家の屋根に植物などを植え緑化したグリーンルーフ、貯水機能を持った地下駐車場などがあります。こうした先進的な適応策を取り入れた都市開発が世界中から注目を集め、気候変動適応の分野で世界をリードする都市となっています。
ロッテルダムが示したソリューションは、決して単独で生まれたものではなく、サステナビリティ目標や指標における透明性を土台に、政府、地域社会、そして企業が連携することで実現しました。プロジェクトに関わった企業は、都市の長期的なビジョンに沿いながら、炭素排出量や水使用量などを報告することが求められています。
こうしたロッテルダムの取り組みは、日本の都市部のように、頻繁に発生する台風やヒートアイランド現象による気温上昇といった特有の課題を抱える都市にとって、大きなインスピレーションとなるでしょう。もし日本の都市や企業が、透明性とアカウンタビリティのあるサステナビリティ報告を基盤に、同様の革新的なソリューションを共創したとしたら、想像を超えるような成果を生み出すことができるのではないでしょうか。
CSRDに基づくサステナビリティ報告には、このようなイノベーションを促進する力があるのです。データを公開することで責任が明確になり、変革を促す投資を促進することができるからです。もしすべての欧州の都市がロッテルダムのモデルを採用したなら、地球にとって計り知れない良い影響を与えることができるでしょう。
アクションへの呼びかけ
ディーゼルゲート事件とロッテルダム・モデルを振り返ると、同じ課題に対する2つの視点が見えてきます。1つは不透明性により発生するコストを示し、もう1つは透明性のもつ力を示しています。CSRDは、リスクを回避する助けとなってくれるだけでなく、ビジネスと社会の両方に利益をもたらす機会を提供してくれます。
日本がGX(グリーントランスフォーメーション)や改訂されたコーポレートガバナンス・コードなどを通じてESGへのコミットメントを深めるなかで、CSRDは、信頼とイノベーションを生み出す透明性の青写真となります。日本の企業は、これらの原則を遵守するためだけではなく、競争優位性を築くため経営に組み込むことで、世界をリードできるでしょう。
透明性は単なるリスクヘッジではなく変化を促すものです。それを規制という負担として見るのではなく、信頼を築きイノベーションを促進し、欧州、日本、さらにはその先の持続可能な未来を創造するための機会として、捉えることができるのではないでしょうか。

ベッティーナ・メレンデス
戦略立案、マーケティング、ビジネスデザインを専門に国際的に活躍。オランダ領キュラソー島政府観光局やベルリンのスタートアップで経験を積み、10代の頃からNGO活動に携わるなど、社会貢献にも積極的に取り組み、サステナビリティに関する幅広い知見を持つ。2021年に顧客体験を重視した幅広いデザインを提供するニューロマジックに参画。2024年からはニューロマジックアムステルダムのCEOおよび東京本社の取締役CSO(Chief Sustainability Officer)に就任し、持続可能な未来の実現に取り組む。 現在はオランダ・アムステルダムを拠点に活動中。社会・環境・経済のバランスを考慮したビジネスの推進に尽力している。