![]() バーセル(左)とユヴァルはヨルダン川西岸のパレスチナ人居住地区「マサーフェル・ヤッタ」で出会う Ⓒ 2024 ANTIPODE FILMS. YABAYAY MEDIA
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「パレスチナ問題」と聞くと、土地をめぐる争い、複雑な歴史、難民……といった言葉を思い浮かべる人も多いだろう。しかし、現在進行形で分断が続く、パレスチナとイスラエルで生まれ育った青年たちが自らの生きざまを撮ったドキュメンタリー、『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』が映し出す現実は、そんな一括りの言葉ではとても表現できない。声を失うほどに苛烈で不条理だ。本作は、2024年ベルリン国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞と観客賞を受賞し、2025年アカデミー賞でも長編ドキュメンタリー賞にノミネートされている注目作だが、米国内では劇場公開しようと手を挙げる配給会社がないという。折しも、トランプ大統領がパレスチナ自治区ガザを「米国が所有する」と発言し、国際的な批判が強まる今、パレスチナ人が強いられている過酷な現実の記録として、その価値は一段と高まっている。(眞崎裕史)
舞台はヨルダン川西岸南部のパレスチナ人居住地区「マサーフェル・ヤッタ」。イスラエルの占領下にあるこの地区で、主人公であり、本作の監督の1人でもある、バーセル・アドラーは生まれた。彼の最初の記憶は5歳の頃、活動家の父親が逮捕されたことに始まる。母親も活動家で、バーセルは7歳で初めてデモに参加。自分たちの家やコミュニティを破壊していくイスラエル軍に対し、村人たちは大人から子どもまでが抗議の声を上げ、自らの土地と生活を守る闘いを続けてきた。バーセルは子どもの頃から、それらをカメラに収め、世界に発信してきた。
![]() イスラエル軍に破壊されたマサーフェル・ヤッタの家々 Ⓒ 2024 ANTIPODE FILMS. YABAYAY MEDIA
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2019年夏、バーセルのカメラは緊迫する村の様子を捉えていた。銃を持ったイスラエル兵が村人を力ずくで追い出し、重機で家々を壊していく。名目は軍訓練場の整備。村人たちはイスラエルの裁判所に異議を申し立てていたが、裁判所は22年かけてそれを退けたのだ。テレビのニュースが「1967年の占領開始以来、最大規模の追放」と伝える中、イスラエル人ジャーナリストのユヴァル・アブラハームが、バーセルの活動に協力しようとマサーフェル・ヤッタを訪れる。本作はそのユヴァルも主人公となってカメラを回し、村を、故郷を守ろうと、命がけで闘う彼ら自身の様子を4年にわたって記録したドキュメンタリーである。
![]() イスラエル軍の戦車の前に立つパレスチナの子ども Ⓒ 2024 ANTIPODE FILMS. YABAYAY MEDIA
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イスラエル軍の弾圧は容赦なく、入植者と一体となってパレスチナ人に襲いかかる。それは、イスラエル人のユヴァルが目の前にいても、何のためらいもないかのように繰り返される。家を破壊され、洞窟生活に追い立てられた村人たちの「もう何も残っていない」「19世紀から地図にある村なのに、軍は存在を認めない」といった嘆きに絶句する。子どもたちの笑顔にほっとしたのもつかの間、イスラエル軍は、子どもたちが勉強している最中に学校から追い出し、校舎を壊してしまう。信じられないような光景だが、紛れもなくパレスチナで起きている現実の一端だ。
ともに1996年生まれのバーセルとユヴァルは、時には暗がりで、また時には水たばこを吸いながら、繰り返し対話を重ねていく。そこで残酷なまでに浮かび上がるのは、ふたりの境遇の違いだ。ユヴァルはマサーフェル・ヤッタで一定期間の取材を終えると、イスラエルに帰っていく。ある夜、「逃げるの?」と冗談っぽく問いかけたバーセルは、「僕にはここしかない」と言葉を搾り出す。帰る場所が別にあり、自由に往来できるユヴァル。占領下で移動も制限され、故郷を必死で守ろうとするバーセル。しかし悩み、焦り、苦悶しながらも、互いの思いを打ち明け、語り合ううちに友情が芽生えていく。
![]() 銃を持ったイスラエル兵に引きずられ、撮影を妨害されるバーセル Ⓒ 2024 ANTIPODE FILMS. YABAYAY MEDIA
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イスラエル軍との圧倒的な「力」の差を前にして、ふたりは映像を「武器」に立ち向かう。「撮っているぞ!」と叫んでけん制するが、それでも目の前で破壊行為や暴力が繰り返される。カメラに記録されたバーセルの「ちくしょう!」の声、激しい息遣い、乱れる映像……。現場の緊迫感が十分に伝わってくるとともに、胸が締め付けられる。
2023年10月7日、イスラム組織ハマスがイスラエルに大規模攻撃を行った。イスラエルは報復としてハマスが実効支配するパレスチナ自治区ガザ地区に攻撃を開始。時を同じくして、本作の撮影も終了している。そこから多くの子どもを含むおびただしい数の命が失われた。再びトランプ政権が始まった今年1月、イスラエルとハマスは6週間の停戦に入ったが、この停戦が持続できるかさえ予断を許さない。バーセルによると、撮影が終了した後、マサーフェル・ヤッタは「信じがたいほど困難な状況に陥って」いるという。
![]() 立場や境遇は違うが、ともに行動し、対話を重ねるバーセル(左)とユヴァル Ⓒ 2024 ANTIPODE FILMS. YABAYAY MEDIA
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あらためて「パレスチナ問題」とは何だろうか。答えは簡単ではないが、それは決して「パレスチナ人の問題」ではない、と本作は教えてくれる。根底には私たちを含む世界の無関心や無知が横たわり、その無知や無関心が、パレスチナでの違法な占領状態や差別、人権侵害を許しているのではないだろうか。パレスチナの大地には、私たちと同じ人間が暮らしているという、至極当たり前の事実をかみしめる必要がある。
最後まで重い現実を突きつける本作だが、諦めずに巨大な権力に立ち向かうマサーフェル・ヤッタの人々の姿は、観る者の心を激しく揺さぶる。そのことは、各国で61もの賞を受賞(1月24日現在)している事実が物語っている。
2024年ベルリン国際映画祭で、バーセルとユヴァルを含む本作の4人の監督は声明を出した。「本作の核心にあるものは、イスラエル人とパレスチナ人が、この地で、抑圧する側とされる側ではなく、本当の平等の中で生きる道を問いかけることだ」と。
4人は殺害予告や脅迫を受けながらも、パレスチナ人の強制追放を阻止し、占領を止めるために活動している。「敵同士」のはずのイスラエル人とパレスチナ人が協同し、命がけでこの作品を世に送り出したことに、一筋の希望を見た思いがする。
『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』(配給トランスフォーマー)
2月21日(金)より、TOHOシネマズシャンテほか全国公開
https://transformer.co.jp/m/nootherland/
眞崎裕史 (まっさき・ひろし)
地方紙記者として12年間、地域の話題などを取材。2020年からフリーランスのライター・編集者として活動し、ウェブメディアなどに寄稿。「誰もが生きやすい社会へ」のテーマを胸に、幅広く取材活動を行う。