• コラム
  • 矢守 亜夕美
  • 公開日:2025.03.19
  • 最終更新日: 2025.03.28
「ビジネスと人権」:今とこれからを考える
【ビジネスと人権コラム】第8回 メディア・エンタメ業界の人権問題――被害を防ぎ、どう救うか

高橋夏実(たかはし・なつみ)

前回(第7回)は、AIを使う際に起こり得る人権リスクについて説明しました。今回は、メディアやエンターテインメント業界で最近大きな問題として表面化している人権リスクの特徴と、被害を防ぐ上で大切な考え方を解説します。(高橋夏実、監修:矢守亜夕美)

スポットライトの裏に潜むリスク―日本のメディア・エンタメ業界の課題

メディアやエンターテインメント業界は、テレビ番組や映画、雑誌やインターネットなどを通じて私たちを楽しませてくれる華やかな世界ですが、その裏では、昔からの慣習が続き、さまざまな人権リスクが見えにくい形で存在してきました。かつては「業界の文化」と片付けられていた行為も、社会全体の人権意識が高まったことで、今ではハラスメントや差別など深刻な問題として認識されるようになりました。

例えば、収録現場や芸能事務所でのセクハラや性加害、出演者やスタッフへのパワハラ、制作現場での過重労働などの重大なトラブルが近年相次いで報じられています。こうしたメディア・エンタメ業界の人権問題について、皆さんもニュースで最近よく見聞きするのではないでしょうか。

2023年には、国連の人権理事会の決議に基づいて「ビジネスと人権作業部会」が日本を訪れ、企業活動がもたらす人権への悪影響について調査を行いました。その報告書では、女性ジャーナリストや俳優がセクハラや虐待にさらされていることが深刻な問題として取り上げられ、放送局や出版社、大手広告会社などが十分な対策を講じていない点が問題視されました。ほかにもアニメ業界の低賃金や長時間労働、アイドル業界の不当な契約や性的搾取などが指摘されており、メディアがその状況を十分に報道してこなかったことも批判されています。

さらに、メディア業界特有の「コンテンツ内の表現に関する人権リスク」にも注意が必要です。誰が見ても分かるような差別用語を使うのはもちろん問題ですが、例えばドラマやCMで女性がいつも弱々しく描かれていると、それを見た人に「女性はこういうものだ」という誤ったイメージを与えてしまう危険があります。また、外国人や障がいがある人などマイノリティにあたる人々を描く際も同じです。特定の属性を持つ人を常に固定的なイメージで表現してしまうと、当事者への偏見や先入観(ステレオタイプ)が社会全体に広がる恐れがあります。その結果、実際の差別や不平等を助長してしまう可能性もあるため、発信者としての責任が問われるのです。

強化すべき「人権DD」と「グリーバンスメカニズム」

メディアやエンターテインメント業界内でこうした人権リスクが次々と表面化する中で、企業はどのようにして問題を事前に見つけ出し、解決に導けばいいのでしょうか。まず大切なのは「全社的な人権デューデリジェンスの仕組み」を導入し、社内や取引先などで起こりうるリスクを洗い出し、優先順位をつけて対策を進めることです。

また、芸能事務所や広告代理店、取材先、制作会社、フリーランスなど多くの関係者が関わる特性を踏まえて、自社だけでなくビジネスパートナー(取引先)に対しても人権尊重のルール(行動規範)を示して管理を徹底することが求められます。

さらに、業界が抱える課題として、通報や救済の仕組みであるグリーバンスメカニズムが十分に機能していないことを指摘する声もあります。グリーバンスメカニズムとは、第4回のコラムでも解説したように、人権に関するトラブルが起こった際に、被害者が声を上げて通報し、救済を受けられる仕組みのことです。もし被害者が報告しても、企業側が定めた手順を守らず問題をうやむやに処理するような状況が続けば、被害が隠されてしまうリスクが高まります。そうした事態を防ぐためには、通報者を守る制度を整え、社内外にしっかりと周知することが不可欠です。

誰もが安心して楽しめるエンターテインメントのために

この業界には独特の慣習や価値観が根強く残っており、人権に関して「何が正しくて、どこまで許容されるのか」の線引きが曖昧になりやすいのが実情です。そうした曖昧さが意見の対立を引き起こしやすいからこそ、まずは経営層の意識変革に加えて、現場で働く人たちが「被害者を生まない文化」をつくる一歩を踏み出すことが大切です。

ハラスメントへの対策としては、米Netflixが実施している「リスペクト・トレーニング」がよく知られています。制作に関わるすべてのスタッフやキャストが互いの立場を尊重し合い、「ハラスメント禁止」を超えて「リスペクトを広めよう」という前向きな姿勢で議論し、行動につなげていくのです。日本でも2018年から大手映画製作会社やテレビ局が導入し始め、最近は製造業や福祉業界にまで広がっています。

メディアやエンターテインメントの世界は、人々の暮らしを豊かにする大切な役割を担っています。しかし、その華やかな舞台裏には長年見過ごされてきた人権リスクがあり、今や深刻な問題として表面化しています。芸術を次の世代へ受け継ぐためにも、人権を尊重する姿勢は欠かせません。上記のような企業側の取り組みに加えて、コンテンツを楽しむ私たち一人ひとりが人権侵害を決して許さない意識を持ち、もし問題だと感じたことがあれば声を上げていくことも重要です。誰もが安心して楽しめるエンターテインメントを守るために、今こそ社会全体が協力し、行動を起こすときではないでしょうか。

〈参考〉Office of the United Nations High Commissioner for Human Rights (OHCHR)
https://www.ohchr.org/en/documents/country-reports/ahrc5655add1-visit-japan-report-working-group-issue-human-rights-and

written by

高橋夏実(たかはし・なつみ)

株式会社オウルズコンサルティンググループ シニアコンサルタント

PwCコンサルティング合同会社を経て現職。シドニー大学国際関係学部卒。 企業のサステナビリティ戦略立案や人権デューデリジェンス実施支援、グリーバンスメカニズム構築・強化支援等のプロジェクトに多く従事。全社的リスクマネジメントの高度化や中期経営計画策定に向けた重要リスク評価等、経営戦略立案に係るコンサルティング経験も豊富。

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